抹茶は日本では安土桃山時代に禅の哲学に基づく茶道として発展し、抹茶を喫する文化が広がっていった歴史や建物、お茶碗などの道具をはじめ、広く深い茶道の世界。その精神にはさまざまな効能があり、現代の日本においては、心身の癒しや教養、人格修養といった目的で茶道を嗜む人々も多い。つまり、抹茶をいただくことは、ただお茶を点てて飲む行為ではないのだ。そこで今回プロダクトを制作するにあたり、武家茶道の石州流伊佐派 家元・磯野宗明さんに監修いただいた。
武家茶道とは、江戸時代に武家社会の間で花開いた茶道のこと。石州流伊佐派は、徳川将軍家ゆかりの流派であり、お手前(作法)は、現在までに320年の伝統が受け継がれている。
江戸城で高貴な人たちにおもてなしをしてきたという経緯と緊張感もあるが、頭から爪先まで神経が行き届いたお手前は、石州流のなかで大変美しいとされる。
武家茶道の精神の真髄は、自尊多尊である。当然、道具やお手前といった茶道のルールは存在する。しかし、磯野宗明氏曰く、お手前は手段であって、究極には人としてどうあるべきかが重要なのだという。文武両道が求められ、知識を得たら、徳(人への思いやりを行動に移)を行動として示すことで、生き様を見せてきた当時の武士たち。だから、自分も大切にして、相手のことも大切にする。その精神のなかで武家茶道は培われてきたのだ。
現代生活のなかでお茶を楽しむにあたっては、お手前通りに茶を点てなくても、紅茶でも緑茶でも、どんな種類のお茶だっていい。重要なことは、自分のことも相手や道具のことも、丁寧に扱うこと。そして、今という時間を大切にすること。茶道はもともと自然との共生・調和のなかで生まれたものだが、外の景色や室内に生けられた花等のしつらえに目を止めたなら、季節の移ろいやその美しさを、五感で感じることができるはずだ。
そして、お茶の時間には、「場」というものが存在する。自分を内省する「場」であり、友人をおもてなしする「場」。あるいは、オフィスで上司や同僚とコミュニケーションをとったり、世代を超えて家族が交わることのできる「場」にもなる。
「まぁまぁ、ここに座って一服お茶でもどうぞ」という意味の、『且坐喫茶(しゃざきっさ)』という禅の言葉がある。お茶を飲みながら色々な話をすることで、日々の悩みや不安といったモヤモヤした気持ちが、晴れていくことを願った言葉だ。
スピード感や生産性、合理性といった価値観が求められる時代だからこそ、お茶を飲みひと息つく「場」を大切にしたい。
石州流伊佐派
320年以上の歴史を持つ石州流伊佐派の武家茶道は、お茶を精神修養の手段として捉えています。石州流伊佐派の起源は、江戸時代に武士が政治を司る役目へ転身する際に、精神を鍛えるために茶を嗜んだことにある。